読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

子育てイルカが笛を吹く

水族館飼育員が子育てのコト、動物のコト、おすすめ水族館・動物園のコトを書いています

保育園で子供が理不尽に怒られていたのを目撃した社畜の話。

子育て 子育て-雑記

これは先日の夕方、娘を保育園に迎えに行ったときの話です。

今日はパパが迎えに行くことを入念に伝えていたためか、私を見つけるなり屈託のない笑顔で駆け寄ってくる娘。なんてかわいいのだ。
動物の絵が描かれたこぶし大のサイコロを両手に抱え、自慢気にそれを掲げて見せる。「ちょうだい~」と問うと「ダメ~」と返す。「ちょうだいよ~」、「ダメ~」、我が家では定番のキャッチボール。娘よ、かわいすぎるぞ! 危うく気絶仕掛けそうになる。我に返り「カバンを持っておいで」と帰り支度を促す。両手に抱えたサイコロを落とさないようにと、酔っぱらいのような心もとない足取りで歩いていく娘。その後ろ姿がまたかわいい。あ、あぶねえ、限界ギリギリ。

悲劇はいつも突然やってくる

靴を下駄箱に入れ、微笑みを浮かべながら後を追い教室へと入っていく。…と、その時、目に飛び込んできたのは座り込んで泣き叫ぶ娘ではないか。さっきまでのあの笑顔はどこいった? え、どこどこ?悪人が心を開かずにはいられないあの笑顔は? 目を離していたのなんてほんの束の間。 何が起きたのだ?

私が娘に近寄ろうとすると、そこには顔は娘を見下ろしサイコロを脇に抱え込むように体をねじらせている園児が立っていた。彼は眉間の産毛が濃くつながって見えることから、私が「両さん」とあだ名をつけている園児だ。さらに二人にゆっくりと近寄る担任の先生も見えた。

「みーちゃん(娘)、サイコロとったらダメだよ」と座り込んで泣き叫ぶ娘に話かける先生。さらに「おもちゃはみんなで仲良く使おうね」とありきたりな言葉で再び娘を諭すように言う。相変わらず両さんは体をねじったまま毛虫眉毛をモサモサさせながら睨みをきかしている。その毛虫を指さしながら泣き叫ぶ娘。私が目視した情報と時系列から、娘の持っていたサイコロを両さんが奪い取ったことは容易に想像できた。娘は私が近寄るとサイコロを投げ捨て、私の足にすがりつきさらに大声を張り上げ、泣いた。

娘の目は完全に「いやいや、先生。どうやら先生は些細な勘違いして私に注意していると思われます。事の真相はもともとあのサイコロを持って遊んでいたのは私であって、それを奪い取ったのはそこのゲジゲジ野郎。タイミング悪く先生はそれに気づいたために、このようなことになっていますが、私には全くもって非はないと考えられ、いわゆるこれは冤罪と呼ばれるものではないでしょうか?注意していただきたい相手はゲジゲジ野郎で、勘違いしている先生も非を認め、私に誠心誠意謝罪していただきたい」と物語っていた。だが、2歳児が覚えたての言葉をどれだけ駆使しようともそれは到底説明できるモノではなかった。結局そのやり場のない怒りを彼女なりに表現するために「あ~~~、うう~~~、あああ」と泣き叫びながら両さんを指さすことしかできなかった。

私は娘をかかえあげ、抱きしめた。「大丈夫だよ。父ちゃん見てたから。サイコロはみーちゃんが遊んでいたんだもんね」「先生。実はこのサイコロはもともと……」と娘の言葉を代弁してあげた。先生は娘に誤り、両さんを注意した。しかし、それだけでは娘のご機嫌は直るわけがなく、足をバタつかせ降ろせと訴える。私は娘を抱えたままカバンを手にしはその場を後にした。

車に乗ってもなお、泣き続ける娘。私は先生や両さんのことを悪者に仕立て上げるのも気が引けたため、「ジュース飲む?」と言って娘の機嫌をとった。

理不尽と戦うサラリーマン

f:id:kosodateiruka:20151025201710j:plain

娘にとってはまさに理不尽な扱いを受けたこの出来事からずっとモヤモヤとしている自分がいる。そういえば誰かが言っていた。

 

「世の中の理不尽でできている」

 

仕事をしている人なら誰しもぶつかるであろう壁。それは「世の中の理不尽」ではないだろうか。働いていると、いや、社会で生きていると正義やルールが全く通用しないときは多々ある。もちろん私も多くの理不尽にぶち当たり、何度も打ち拉がれてきた。上司から指示されたとおりに会議資料準備したのに、私が勝手に作ったことにさせられたり、上司の言う通りにして仕事をすると、今度は別の上司から「その方法は違うだろ!」と叱責される。まだ自分には到底できっこないレベルの仕事を強引に押し付けられ、うまくいかなかった途端、「いつまでチンタラやってるんだ!」と怒られる。独身で背負うものがない20代前半は何も考えず真正面から彼らとも衝突していた。しかし部下が徐々に増え、結婚し子供ができた。あの頃のエネルギーは枯れ果て、省エネでしか働けなくなってしまった今では、上司に対して不満があっても、これが現実なんだと自らを律しただ耐えるのみ。昇給やボーナス査定に響くのではないか、自分が我慢さえすれが波風が立つことなくこの話は一件落着するのではないか、と…。これからも私はそうやって生きていくのだろうと思う。

 理不尽は性格をも曲げてしまう

話を戻す。子供に世の中の理不尽をどのように教えていけばいいのだろうか。

誰がどう足掻いたって世の中から理不尽をなくすことは無理な話だろう。これから娘が成長するにつれ今回の出来事のような理不尽さはいつも目の前に立ちはだかり大きな壁となって、邪魔しストレスを与えてくるだろう。だとすれば彼女に自らの正当性を理論的に主張し、いつなんどきもその理不尽に立ち向っていける攻撃的な強さを身につけさせたほうがいいのか、それとも、理不尽の中でたくましく耐え忍び、時にひらりと身をかわせる防御的な強さを身につけさせることがいいのか、どちらだろうか。あの時の娘の目つきを思い出すと前者がうってつけのような気がするが…。どちらにせよ、理不尽への耐性が低い、そういう子供にだけは育ってほしくないと願うばかりである。なぜならば、根が素直すぎるゆえに数々の理不尽によって性格がひん曲がってしまった私のようには成長しないでほしいから……。

なぜ上司とは、かくも理不尽なものなのか (扶桑社新書)

なぜ上司とは、かくも理不尽なものなのか (扶桑社新書)

 

 

関連記事